「自分の心をしっかり守る方法」を読んだ

前記事で、自分は気分の浮き沈みが激しいんスよね〜ってことを書いてまして。

この感じをね、治さねば。治さねばと。どーにかこーにかしようって思って早数年。

全く解決しないっつーね

生きることに疲れてきた人に読んでほしい

基本的に不安で。

もう自分がよくわからなくて。

ありのままの自分って何?どこ?って状態で

生きるのが疲れてきたけど、死ぬほどではない。

自己啓発本とか哲学がもう響いてこない。ただただ疲れる。

そういう人には、一回読んでほしい本です。

個人的な感想

わたしは、自分が何が好きで何が得意でなにができる人間でどう生きたいのかわからなくなってしまった人間です。

今も正直わからないし、なにが本当に好きだったのか、もう思い出すことができないんですね。

というより何回振り返っても、本当はそうじゃなかったんじゃないかという懸念が残るんですね。

なんでかって、わたしがやってたことって自分がどう思われたいかに関心が向きすぎて

自分がどうしたいかってのを見て見ぬふりしてきたからです。

この本を読んだからって解決とはいきませんが、隠そう隠そうと必死だったことを言語化されて腑に落ちてしまったら、もう「隠さなくてもいいかあ」って気になりましてね。

ちょっと気が楽になったというか。

じゃあもう楽しいフリやめて、正直に「今生きるだけでしんどいです。」って言ってもいいんじゃないかと。

頑張りたい気持ちはあるけど、そのエネルギーの源が枯渇してしまってますと。

ありのままを今生きてもいいじゃないかと思えるきっかけになりました。

かっこいい人間になりてぇなって思った時

無駄にクールに振る舞ったり、そつなく出来る素振りして。

不思議ちゃんになりてぇなって思った時

変なこと言ってみたり、「オレ普通と違う〜ラケットの持ち方っ♪」って感じで「なんか違うことしてる人」を演じて。

おもしろい人になりてぇなって思った時も

全部そうなんだけど

自分がなりたいっていうより、そう思われたくてやったの。本当はどうしたいかは一旦置いておいてって

置いたまんま、忘れたらしい。

そりゃ人生に疲れるよねっつー話。

この本に書かれてること、自分のことすぎて

あれ?わたしのこと書いてんのかな?みたいな。わたしの人生見張ってました?みたいな

なんだったら「サヲリの取扱説明書」つって生まれた時に付属してなかった?くらい自分のこと書いてあってもう3周読んでるんですよね。なんだったら同じ作者の本も2周読んだ。

これが2013年の本だっていうんだから、もっと早く出会いたかったというのが感想です。

自分を偽りながら人生消耗してる人、必見です。

まずは、自分の心を見つけよう。

とりあえず、敵を知ることが大事。

彼を知り己を知れば百戦殆うからずってあの孫子も言ってる。

敵は本能寺にあり。つって。光秀が。

つまり、敵は自分自身。自身が敵ならば自身を知ることであるとな。

そして松井、この世に生を受けてだいたい30年、いまだ敵のことわかってなかったらしいでござる。

理想実現より自己実現

「自らを知って 自らに気づいて 自らの運命に逆らうな。背負って生きろ」

と本に書いてある。

運命に逆らうってつまり

自己実現する心の姿をおろそかにし劣等感から「理想の自画像を実現すること」に努力することの事であると。

自己実現と理想実現の違いってなんなの?ってところなんですが

自己実現は、向上心から自分のできる事の中で頑張ること。

理想実現は、劣等感から自分のできない様な事をムリして頑張ること。

らしいです。

あ、わたし自己実現じゃなくて理想実現しようとしてたのかってすごい腑に落ちました。

「こういう自分ならみんな認めてくれる」って実際の自分以上の自分を偽って演じて

ありのままの自分は受け入れることができなくて、認められなくて、本当の自分は知られたくないから、いつも心は休まらないという負のループ。

そんな人間ではないのを知ってるのは自分だけなのに、いつのまにか「自分はこうだ!こういう性格でこういうところがあるんだ。」と勝手に決めつけて自分にすら偽りの自分をすりつけてきたツケがどうやらここにきて「鬱」という形でまわってきたらしいです。

でかい代償だな、おい。

自分が感じたことは他人の感じたことではない

まあこんな4畳半ワンルームか?くらい狭い視野の中にいると周囲も相手も見えないということで。

「自分が感じた事を絶対としない」ということが大事になってくる。周りをみて、誰も同じ感じ方をするわけではないということをちゃんと理解する。そして視野を広げること。それが解決方法。

そうね・・・ってなった。

色々な人がいるってのは見てきたつもりでいましたが

わたしがその理解で対処できるのは短時間とか、一回ポッキリ会わなきゃいけない人とかで、人付き合いが必要なレベルで会う人ではそれがいきなり難しくなるっぽい。

特に怒りの感情は。嫌味言われたら誰だって腹立つと思っちゃうし。

ただ「これは考え方によるな」と思えるところは、そう言い聞かせていきたいなと思いました。

なぜ傷つきやすいのか

「どう生きたらいいか」が「どうしたら傷つかないか」になっているから。と書いています。

嫌われないように、足手まといだと思われない様に、好意を持ってもらえるように

そうやって自分が傷つかないための防衛に他人への配慮をして消耗して

結果その配慮が報われないと傷つく。

ちゃんと自分自身でいられるように「どう生きたらいいか」で行動できたなら

多少の後悔や傷がついても、いいところも悪かったところも反省できるからすぐにふさがるし、次の糧になる。と解釈しました。

甘えの欲求を抑えた幼少期が影響?

自分にとって重要な人間に認めてもらったりかわいがってもらいたいがために、

「本当はああしてもらいたい」「こうしてもらいたい」

というわがままとも言える「甘えの欲求」を抑えつけてしまう。

それが、ありのままの自分では愛されない、価値がないというイメージを作りあげてしまう。

価値がないって事を否定するのにまた人に好かれるためだけの努力をして、本当の自分を消していく。

このイメージがない人は「自分には価値がある」というイメージをちゃんと持っている。と書かれていました。

つまり、他人に評価される事を価値としているか、自分の自信になってる事を価値としているか

ということなのかなと思いました。

・・・これ、すごく心当たりありまして。

小さい頃、褒められたいし、いいイメージもってもらいたいから、聞き分けいいフリしてたなあと。

また、甘えの欲求をすさまじく押さえつけなきゃいけないイベントがちょいちょいあったこと思い出しました。

親戚集合イベント。

姉は人付き合いが上手いからみんなそっちに行って楽しそうにしてるし。わたしは仲間に入れないし。

入ってもなんだかなじめないで逃げるように、親の近くに行くけど

妹につきっきりだし、親同士の会話で関心は自分にはない。

こんなに周りに人がいるのに一人というのは、いない時の一人ぼっちよりドギツイものがあると知りあました。

時には行かないって勇気出して言ったけど。なんで?一緒に行こうって言う。

でも相変わらず、いてもいなくても同じじゃないかって感じで。疎外感でいっぱいになって。

もういっそ一人の方がいいってわざとはぐれた。

気が楽になったけど、なかなか探しにこなくて、いなくなったことにすら気づいてないんだなって悲しくなった思い出笑

お留守番してたらよかったと、親が子供が楽しむと連れてきてくれたであろう動物園で感じたのはすごく覚えてる。めちゃくちゃ寂しがり屋っていう。

まあそんな幼少期をひきずって今だ親戚は苦手だし、会いに行こうとも思うことができないし

たまに実家帰ったとき、じゃあ顔見てくわって親戚が言いだした日には「え・・」ってなる始末。

わがまま言ってたら、違ってたのだろうか。まあ考えたってしゃーないけども。

話を戻して「甘えた欲求」を押し込めてると

他人も自分に対して同じ欲求を持っているんじゃないかと錯覚すると作者は言っています。

そしてそれが錯覚だと気づいた時、さびしさやつまらなさを感じる事があると。

ああ、期待されてたわけじゃなかったんだってね。

めんどくせえ〜って思う反面、わかる〜〜!ってなる。だってめんどくせえ人間だもん。

ありがとうの搾取

これは社会人になってから感じることが多かったことなんだけれどもね

相手がよかれと思ってしてる事に「嫌」と言えない文化ね。

むしろ「ありがとう」「助かりました」なんて言わなきゃいけない。

別にしなくてもいいし、むしろしないで欲しかったなあと思ってるのに嬉しいフリして少しずつ自分を殺していく。そんな日々です。

敏感性性格者

敏感性性格者とは無力性性格に強力なトゲが刺さっている人の事である。

ちなみに無力性性格っていうのは

  • おとなしい
  • 真面目
  • 臆病
  • 自信が欠如

してる性格のこと

それにささってるトゲというのが「野心」、つまり名誉欲だと。

敏感性性格者は小心者のくせに野心は人一倍強めで、しかも自意識過剰。

完全に内気にもなれず、たくましい野心家にもなれない矛盾を抱えてるから

いつも緊張してなきゃいけない。

傷つきやすく、くよくよ悩むくせに実行力も勇気もない。注目されたいくせいに人前に出るとおどおどしてしまう。

実行力が欠けてるので闘わない。敗北感だけ残って心の中であーだこーだと後になって心のうちで議論する。

野心をあきらめきれないから。実現できないことが悔しいから。そんでもって満たされない。

だから敏感性性格の人はとても疲れやすいし、消耗が激しい。

なんていうか、もうまさにわたしなんですけど。敏感性性格、わたしなんですけど。代表になってもいいってくらい。敏感性性格を擬人化したらこうなるってくらい、わたしなんですけど。

加えて

  • 心が晴れない
  • 別の生き方があるように思える
  • この人生にはまだ何かあると感じながら何事もなく終わる

やーめーてー!もうやめてー!やめたってー!!!メンタルボロボロだからー!!!

もともとが控えめだからわがままに振る舞えば気が引けたり後悔したりするし

だからといって我慢して相手の我儘を通せばおもしろくないし不愉快だし結局後悔するし

これで疲れるなっつーほうが難しいっつーの。

敏感性性格を受け入れること

それが大事ですと作者は言っています。

強さも弱さも受け入れる。むしろどちらの自分も楽しめと。2倍楽しめると言っています。

完全にどちらかになるのではなく、敏感性性格だと受け入れて

今どちらにいるか自覚できることでコントロールしたり、素直に従ったりするのがよいそうです。

小心者なのに野心強めという矛盾から、自分を救い出すための戦い方。

敏感性性格を受け入れないでいるとどうなるか・・・

実現されない野心が正義の仮面をかぶって登場してきます。それがどうなるかというと

矛盾が深刻化するという地獄が待っています。

そして敏感性性格の人は、周囲に自分を理解してもらうために、恥ずかしくても情けなくても、それを責められても

まずは心のうちを隠さずに説明する努力をしてくださいとのことです。

理解してくれるまで待ってるんじゃなくて、しかけるつもりで。

どうせ理解できないだろうってあきらめて相手に合わせてると、いつまでもじくじく傷口が痛み続けて苦しい時間が長引くだけであろう。

というのが第一章のまとめ

第一章でこのボリューム。

第五章まであるのですが、気になった方、自分にもあてはまるかも

というかたは是非読んでみてください。

prime readingで読みました。何回マーカー引いたかわからん・・・

加藤諦三さんの本もうちょっと読んでみたいと思いました。

ハイライト

ありのままの自分でいる

という決意が本当に今の自分にとって必要なことで

そのためにどうあるべきかって言う事が知りたいのだとこの本を読んでわかった気がします。

強くあるべきとか、我慢したほうが事がスムーズとか

〇〇する方法、〇〇しない考え方をマネするとか

一回全部捨てて、どうしたら自分が納得できるかってのをちゃんと見つめ直そうと思いました。

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