おひさしぶりです。
むさしくんが3/17 日に天にお呼ばれされて1ヶ月が経ちました。
もう悲しい寂しいよりも、なつかしいが勝っている今日この頃です。
消化されたんだなと思っていたけど、ふとした時思い出されると涙がでてきます。
ただただ、我が家に来てくれて本当にありがとう。幸せだったよと。
どんな言葉を並べても足りぬ感謝でございます。
どう考えても、わたしにはもったいねぇ子でした。
あきらめてあげるという選択
インスリンがまた必要なくなって、よかった〜!と喜んでいたのも束の間で。
みるみる食欲が落ち、下痢と嘔吐も頻繁にする様になりました。
血液検査の結果、腎機能の数値が悪く、ほぼステージ4と診断。
腎不全の診断をもらってからもう5年。糖尿病も2回やって腎機能はもう限界だった様です。
頻繁な通院で点滴を打ってもらうしかできることはありませんでした。
なんとか食べてくれていたスープのパウチも手をつけなくなり、水を飲むのもやっと。
ある日、病院に連れて行こうとすると悲痛な声で鳴きました。
わたしだって、連れて行きたくないよ!でもこんなことしか出来ることないんだからしょうがないじゃん!!
と思うと同時に
ああ、これはもう本当に嫌なんだ。ってわかっちゃって病院に行くのをやめました。
わたしに出来ることは、あきらめてあげることなんだな、って。
いままで、たくさん我慢して頑張ってくれたのに、それ以上望むことは、本当にむさしの為?
最期の時
それからはいろいろなごはんを買い漁って、食べれそうなものを探しました。
しかし、食べれても少し。強制給餌もしてみましたが、辛い思いをさせた挙句嘔吐という感じで
バカヤロウなにやってんだ貴様ー!!!ぶん殴ってやる!!!!!
とね、もうそんな自分が許せなくて。まだあきらめてあげることもできんのかと。
反省して、数日間。わたしができたのはマッサージしたり、むさしの涎を拭いてあげるくらい。
歩けない足でなんとか冷たい場所に向かおうとしたのを止めたのは本当に愚行でした。
それに気づいた後は、もう止めることはせず見守って。側にいて。時間だけが過ぎていって。
ついにその時が来ました。
呼吸が乱れて、痙攣して、ハァー・・・と息を吐いて、絶命しました。
やっと解放されたんだと思うと安心して、嬉しくて、よかったね、よく頑張ったねって、ただそれだけでした。
綺麗に拭いて、ベッドに眠らせて。
じわじわと切ない気持ちが込み上げて、どうしようもなく泣くことしかできませんでした。
結局、何が正しいか答えはでなかった
腎不全の猫の動画やブログ、体験談いろいろ漁りました。調べずにはいられなかった。
でもまぁ…、ネット漁らなければよかったというのが本音です。
同じ病気でも同じ猫でも、それはむさしではないから。
むさしとちゃんと向き合えてなかった。そう思います。
冷たくて暗い場所に行こうとしたって止めちゃいけなかったし、吐くリスク高いのに強制給餌もするべきじゃなかった。
点滴はしないんじゃなくて、まだ食べれている段階で獣医さんに自宅でできるように指導してもらって、自宅でできるようにしておいたらよかったかな・・・と思ったり。思わなかったり。ここは答えがでない。
いたずらに延命するだけなら、苦しみの延長ならやりたくない。
あの状況で点滴したとして、多少楽になっても元気にはなる見込みはない。続けてたら元気になるよってことなら迷わずやるんですけど・・・
終末期の病院に勤めた経験から言うと延命はできても、他の病気になったり、むくみがひどくなったりね。
まぁ結局、どんな選択をしても後悔はしたんだろうなと。
最大の過ちだったこと
寂しい、悲しい、辛いだけなら最初に大泣きするだけで済んだと思う。
でも、こうやってダラダラと言葉を並べるくらいにはモヤモヤ考えちゃうのは
真にむさしに向き合えてなかったからだと思うんですよね。
どんないいご飯あげてたとか、いい砂使ってたとか、そういうんじゃなくて。
むさしが食べる時を想像しながらご飯の皿をピカピカにしてあげたり、どこが気持ちいいのかなってブラシをかけたり、いつも寝ている場所だから綺麗にって毎日コロコロかけたり。
そういう日々あたり前にするお世話を丁寧にできていなかったなって。やっつけ業務みたいにやってたなって。
それがなによりも不甲斐なくて、むちゃくちゃ後悔しています。
次があるなら、この反省活かす。
そんなわけで、むさしくん。
むさしのヒゲ一本お守りに、わたしはしぶとく生きていくから。時々でいいから遊びにきてね。
生まれてきてくれて、長い間側にいてくれてありがとう。大好き。バイバイ。願わくば、また。